森ん子日記

運動会に寄せて

10月上旬、森ん子共同保育園の20回目の運動会を無事に開催することができました。
森ん子の運動会は『やるかどうか、ご家族を呼ぶか、なにをするか、など1から子どもたちと話し合って創っていくこと』と『日頃の保育の延長線上であること』を大切にしています。
運動会開催に伴い保護者の皆様や来賓の方々にむけて書いたお便りに思いを込めましたので、こちらで紹介させてください。

運動会の本編については、じきにアップされる運動会係からのブログをお楽しみに!



運動会に寄せて

今年も森ん子の運動会がやって来ました。まるで当たり前かのようにこの日が迎えられることにどれだけたくさんのお力添えがあってのことかと思いを馳せ、心より感謝の気持ちでいっぱいです。

それにしても今年の夏の暑さは例年以上に厳しいものでした。とはいえ森ん子に長くいるとこの森ん子の暑さも夏の醍醐味だと思えるのです。座っているだけで汗がわっと吹き出し、体が水分や塩分を欲する感覚。汗でベトベトになって脱げないシャツ。汗だくで飛び込む井戸水の清涼。汗が流れてサラサラになった手足。そうやって人間は夏と共存してきたことを思い出すのです。そしてそれは人間として忘れてはならない感覚や体験だと思っています。

下見のため久しぶりにやってきたキャンプ場は太陽の熱量を否応なしに感じるのですが、ひとたび森に入ると木々が太陽の熱を遮り、土が湿度を調整し、涼しい風が木々の間を通り抜けるので暑さをあまり感じません。地面にはヤマグリやいろんなどんぐりがいたるところに落ちていて、森は着々と秋支度をすすめていました。異常気象だ気候変動だと人間たちは騒ぎますが、森には森のホメオスターシスがあり、地球には地球の自浄作用があり、全ては自然界の調和の一部にあることを実感しました。そして森に入った子どもたちを見ていたら、みるみるうちにみずみずしさや自分の持っている色を取り戻し活気が充満するのを感じました。生命力の塊である子どもたちは森の生命力にすんなりと呼応します。自然と切り離しては暮らせない人間の根幹に触れるようでした。

さて今年の運動会、あまりにも暑すぎて本当に秋が来るのか、本当に開催できるのかと不安になるほど。例のごとく、こどもたちに運動会をやるか、ご家族を呼びたいかと問いかけます。やる!と即決でした。歓声の直後に急に不安が押し寄せ、どきどきする、見られるのがはずかしい、負けたら恥ずかしい、ミスりそう…などなど心配の声も上がりました。それでも、やる!と決めた子どもたちの気持ちはゆらぎませんでした。

ほしゆめさんは日々の森ん子でくたくたになるまで遊ぶ日々の瞬間瞬間が凝縮されています。ゆめ組の二人は入園して1ヶ月しかたっていないとはにわかに信じられないほどやる気に満ちています。ゆめ組さんのおかげですっかり兄姉っぷりが板についたほし組もお楽しみに。そら組は3人だからこそできる、3人だからおもしろい、3人の個性と団結が見どころ。にじ組は運動会の取り組みを通して大きく成長しました。話し合いでは、自分の声すら出せない子もいれば、自分の意見を貫き通したい子、意見があるのかないのかあやふやな子も。でもそのどれもリーダーシップを取るには障壁です。話し合いという設定が成立しない小さい子どもたちをまとめて調整するのは極めて困難ですが、それでも模索しながら創り上げてきました。そして3年間で少しずつ積み上げてきた力の蓄積を披露します。森ん子のリーダーとしてたくましく成長を続けるにじ組の今を心に刻んでください。

運動会は本当に膨大な時間のたった一瞬です。キャンプ場での限られた時間、限定された空間で表現できるものは子どもたちの余りある可能性の一部です。絵や制作が得意な子、想像力が豊かな子、小さいお友達に優しい子、クッキングが得意な子、泳ぎが得意な子、ごっこ遊びが得意な子…そういうことは運動会の競技には直接反映されません。大きなジレンマがありますが、その力は今日につながっています。それだけでなく、日々は得意や上手に至らないような失敗や挑戦、些細だけど確実な変化に溢れています。運動会のこの一瞬に持てる力のすべてを出し切れるかどうかわかりません。うまくいってもいかなくても、これは子どもたちの無限の全体性の中のたった一部であることも心の片隅において、全力で向き合う子どもたちを応援してください。

どうか子どもたちの一瞬をお見逃しのないように。スマホやカメラのファインダーを通さない、まっさらな目に子どもたちの勇姿を写し取り、心に焼き付けてほしいと思います。

素朴だけどたくさんの愛が結集した森ん子の運動会。てんぐさんの応援を全身に感じながら!エイエイオー!

(森ん子園長 あず)

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